ゲームを愛する人のブログ

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世界的に売れなかった人気のないゲーム機・ハード4選!

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ゲーム機を持っていない、もしくは触れたことがないという方は、現代において非常に珍しいでしょう。

今でこそ、任天堂SwitchやPS4、PCで遊べるsteamなどがゲーム市場を独占しています。

また、どのような人間であっても、如何なる生活を送っていたとしても、スマホさえあれば手軽にダラダラと遊べる、一切お金のかからないスマホ専用のゲームなども現代には多数存在しています。今の人たちの多くは、どちらかと言うとスマホ向けのゲームを好んで遊ばれているらしいですね。

今でこそゲーム機や対応機種は固定されていますが、かつては様々な会社があらゆるゲーム機・ハードを製作して販売していたという過去があります。

ファミコンやプレイステーションのような超人気ゲーム機の影に隠れて、誰の目にも触れられないまま霧散してしまったゲーム機も無数にあり、その知名度は皆無に等しい物さえあります。

そこでこのブログでは、売れなかった人気のない・不人気のゲーム機について書いていきます。かつて販売されていた過去のゲーム機について理解が深まれば幸いです。

セガサターン

セガサターンは、1994年に、ゲーム会社セガから発売したゲーム機です。

当時は当たり前であったゲームソフトのカートリッジ方式ではなく、CDROM方式が採用されていることが特徴的で、これによりグラフィックやBGMの効果音の向上が実現しました。代表的なゲームとして、バーチャファイター、パンツァードラグーンなどが挙げられます。

しかしながら販売台数は、日本で580万台、北米では300万台程度しか売れなかったようです。また、この当時、プレイステーションやニンテンドウ64という期待の高まっていたゲーム機の発売による売り上げ競争に巻き込まれることを避けるために、セガサターンは少しだけ早く発売されたとのことです。

功を奏したのか、日本で発売された直後には、出荷された分の20万台を完売するという快挙を遂げたセガサターンですが、翌年の1995年に北米で発売された際にはそうはいきませんでした。

当時、セガオブアメリカという海外の会社のCEOだったトム・カリンスキ氏は、「このままでは成功しない、せめて1996年に持ち越すべきだ」と考えていたようです。

セガサターンを前倒しで北米に発売することで市場競争に勝ちたいというセガの思惑に対して彼は、発売日を遅らせて品質の向上を図るべきだと1人猛反発したようですが、会社側は聞き入れることなく、セガサターンは1995年に発売されてしまいます。

このゲーム機は、北米においては取り扱い店舗が非常に少なく、ゲーム機自体の入手が困難であったことや、看板となるメインタイトルが存在しないこと、本体価格が日本円で言うところの44800円と非常に高価であったことから、セガは多くのファンたちに見切りを付けられ、遅れて発売されたプレイステーションにファンたちは流れてしまいました。

その後セガは、ドリームキャストというゲーム機を開発していますが、売り上げが芳しくなく、現在においてゲーム機の開発は中止してゲームソフトの開発に尽力しているとのことです。

 

スーパー32x

スーパー32xは、メガドライブの周辺機器として、セガオブアメリカという会社の主導の元、1994年に発売されました。主なゲームソフトはスターウォーズアーケード、バーチャファイター(スーパー32x版)で、価格は日本円で16800円です。

これをメガドライブのゲームソフトの挿し込み口に挿入して、専用のケーブルに接続することにより、16ビットゲーム機であったメガドライブを32ビットに変換し、当時から見て高画質、高音質なゲーム機として動かすことが出来て、よりゲームを楽しめるようになります。

ですが、日本ではメガドライブ自体がそれ程普及しておらず、海外ではその値段のせいで敬遠され、結局日本では5万台、海外では130万台程度しか売れませんでした。

しかも当時は、メガドライブの次世代であるセガサターンの開発途中であり、スーパー32xの発売を推奨するアメリカと、次世代ゲーム機の販売に力を入れたい日本との意見の食い違っていたようです。

ゲームのおけるマーケティングに混乱を生じさせ、そうこうしているうちに両者ともに倒れてしまい、プレステとニンテンドウ64に市場を奪われてしまうという最悪のパターンに陥り、セガがゲーム機の開発から退く一因となってしまいました。

また、この機器の活躍期間は非常に短く、セガサターンが発売されたのは1994年の11月である一方で、スーパー32xの発売日は同年の12月であったため、使用期間は実質1年足らずとなってしまいました。

海外では、始めはクリスマス商法を活用して90万台ほどを販売したものの、日を重ねるにつれて徐々に売れ行きが落ち込んでいき、1996年にはスーパー32x自体の製造・販売が中止になったとのことです。




バーチャルボーイ

バーチャルボーイは、1995年に任天堂が開発したゲーム機です。赤いゴーグルとコントローラーのセットで、当時は珍しい立体映像を取り入れており、赤いゴーグルを覗き込みながら手元のコントローラーを操作するという今まではないスタイルが採用され、今までにはないゲーム体験を現実のものとしました。

主なゲームソフトとしては、レッドアラーム、マリオクラッシュなどがあり、販売価格は15000円で、売り上げ本数は日本で15万台、アメリカで50万台程度しか売れていません。

しかし、当時開発に携わっていた宮本茂氏によると、ゲーム機というよりは「面白いおもちゃ」として、これまでゲームをしたことのない人も買ってもらうことを考えていたため、実際のところは赤字どころか黒字だったようです。

一方で世間は、ゲームボーイの次世代として期待をしていたためか反響は芳しく無くて、はたまた立体視は当時にしては早すぎたのか、任天堂の黒歴史と笑われて、1年足らずで製造及び販売が終了してしまいました。バーチャルボーイ対応のゲームソフトの総数も僅か40程度で、明らかな人気のなさが伺えます。

また、ゴーグルに映し出された映像は、その設計上プレイヤー1人しか見ることが出来ず、横にいる友達などと楽しみを共有することが出来ないという点も、このゲームの大きなマイナスの評価が下された理由の1つなのではないかと考えられています。

なお、この時に使った立体映像というアイデアは、後のVRや3DSのシステムに応用されることになりました。

ピピンアットマーク

ピピンアットマークは、アップルとバンダイが共同開発したゲーム機で、1996年に日本で発売されました。

当時、経営不振に陥っていたアップルが、一転攻勢を遂げるためにバンダイと手を組んだものの、バンダイの、インターネットに焦点を当てたゲーム機の開発に力を入れたいとする意見に反して、アップルはそれに真っ向から反対すると言ったように意見が対立していました。

さらにはインターネットに接続させるための開発と共にコストが大幅に膨れ上がり、しかもそれ程性能は良くないにも関わらず、販売価格は7万円程度にまで増幅してしまいました。当時販売されていたニンテンドウ64が1万6000円程度だったので、その異常さが分かるかと思います。

また、販売国は日本とアメリカのみで、注文方法は電話もしくは加盟店でのみの販売であり、バンダイもアップルも、お互いにこのゲーム機を積極的に販売しようという気概は無かったことが伺えます。

ちなみにこのゲーム機の代表的なゲームソフトとして、たまごっちCDROM、SDガンダムウォーズなどがあります。初めて聞くゲームでしょうが、投稿者も今まで知りませんでした。

ゲーム機は高く、性能も低く、このゲーム機に対応している面白いゲームソフトさえ出ていない。

当時のユーザーたちにはインターネットについての知識がまるっきりないため「ゲーム機がインターネットに接続出来る」という利点も一切理解されず、加えてニンテンドウ64やプレイステーションが同時期に売られていたということも逆風となりました。

ピピンアットマークの世界販売累計台数はたったの約4万2000台程度で、260憶円もの大赤字を叩き出し、このゲーム機は、現在において最も売れなかったゲーム機としての悪名を残したまま1997年に製造が中止されました。

予定していたはずの次世代ゲーム機の開発も行われないまま企業は撤退してしまいました。

最後に

以上が、世界的に売れなかったゲーム機についてでした。

人気ゲーム機の影で消えていった数々のゲーム機はまだまだありますが、ここでは代表的な4つをご紹介させていただきました。機会があればまた紹介していきたいと思います。