※この記事には過激な表現が含まれています。閲覧にはご自身の判断でお願いします。
どうも、ありつむぎです。
今回は世界に存在する処刑方法について取り上げていきます。
溺死刑

溺死刑は、古代~中世ヨーロッパで行われていた処刑方法です。
この処刑は、罪人を故意に溺死させるというもので、そのほとんどは川や海で行われ、主に女性を処刑する際に用いられました。
かつての古代~中世のヨーロッパでは、身分の低い女性が罪を犯すということは許されないという風潮が強かったことや、不倫や人殺しなどをした女性のほとんどは、溺死刑で殺すという決まりがあったそうです。
溺死刑の手順は以下の通りです。
- 処刑の執行人は溺死刑の判決が下った罪人の服を脱がせて辱めを受けさせる。
- 罪人を無理やりしゃがみ込ませて股の下に棒を通し、手足をその棒に縛り付ける。
- 処刑執行人はそのまま罪人を水の中に突き落とす。
この時、罪人のほとんどは息継ぎをするために水面に顔を出そうとします。
しかし、そのような場合は、すぐさま他の執行人が棒を使って罪人の顔を何度も突いて呼吸を妨害します。
そうしているうちに、冷たい水の中に沈められた罪人の体は急激に冷やされ心臓発作が引き起こされます。水中でもがいているうちに脳に酸素が行き渡らなくなり、正常な判断ができなくなったまま心肺停止、つまり死を迎えます。
また、死後も体は引き上げられることなく放置されます。
水の中を泳ぐ魚や飛来してくる鳥の餌になることもあり、数日後には骨が剥き出しになった罪人の遺体が確認できたとのことです。
なお、溺死刑の処刑の場は池や湖ではなく川や海が選ばれたのですが、これは川や海の水流で罪人の遺体を遠くに流すためであったそうです。
しかし、そのほとんどは上手く流れず、結局罪人の遺体の多くは人の手によって引き上げられました。
車輪刑

車輪刑は、16世紀~19世紀の始まりにフランスやドイツなどのヨーロッパで盛んに行われていた処刑方法です。車裂き刑とも呼ばれています。
その名の通り車輪を使った処刑方法で、親や兄弟のような血縁関係のある人を殺めた者が対象となりました。
最初期の車輪刑は、縄で縛り付けた罪人をうつ伏せし、その上で車輪を何度も転がすというもので、肉体を数段階に分けて潰すことによって苦痛を長引かせるという拷問と処刑を兼ね備えていました。
また、当時のヨーロッパにおいて、車輪は太陽の象徴とされており、車輪刑は罪人の処刑と同時に「太陽神への生贄」を目的として行われていたとも言われています。
そして、車輪刑は時代と共に形を変えていき世界各地で見られるようになるのですが、中でもドイツで行われた車輪刑は凄惨を極めました。
始めに罪人は車輪に括り付けられるのですが、この時の罪人の手足は鈍器で殴打されそれぞれの関節が砕かれます。
これには
- 刑の執行中に罪人に暴れられることを防止するため
- 車輪刑を見物している観衆に対する見せしめ
といった理由がありました。
そして、罪人の体が固定された車輪は鋭いトゲが打ち込められた床材の上で回転させ、罪人の肉体は床のトゲで抉られて、全身の肉が切り裂かれ、骨が砕け、内臓が潰されることに。
車輪の回転数が10回にもなると、具体的には言いませんが、車輪の周囲には無残な光景が広がることになります。
また、このような残酷な方法ではなく、四肢の骨を砕いた罪人の体を車輪の上に掲げ衰弱死させる方法も用いられていました。
この方法を取った場合、対象者が死亡して太陽の光によって完全に乾燥するまでその場で晒し続けたと言います。ですが、その過程において腐敗し、辺り一帯には悪臭が漂い続けたそうです。
ちなみに、この刑を免れた事例もあります。
フランス革命が起こる前のフランスにおいて、ジャン=ルイ・ルシャールという脚本家が、車輪刑に処される前に、民衆によって処刑台を破壊し彼を助け出されるという事件が起きました。
これには、民衆が国家による残虐な処刑を否定する気持ちを示すために行ったとされています。
そしてジャンル=ルイ・ルシャールはその後放免され、この事件を機にフランスにおいて車輪刑の実行の機会は大幅に減ったと言われています。
石打刑

石打刑は、イスラム国家にて紀元前から行われている処刑方法です。
最初期は、罪人をロープで固定して刑の執行者が罪人を大きな石で殴打するというシンプルな方法が用いられたと言います。
初めの一撃が上手く頭に当たって死ぬことができればまだしも、ほとんどの人は暴れて抵抗するため、短時間で刑が終了することは稀であったとのこと。
そのため、多くの人は何度も執行人に石で殴られて痛みに悶えながら命を奪われたそうです。
小さな石を使った処刑方法も存在しています。
こちらは
- 罪人を逃げられない場所に立たせる
- 外にいる大勢の一般人が罪人に向かって大量の小石を投げる
- そのまま罪人を放置する
という方法が取られています。
これにより、石に全身を打たれる痛みに悶えながら投げられた石に埋もれて衰弱死します。
なお、石打刑は現代でも行われているとされています。
ネット上の情報によると
- 処刑執行人が罪人の半身を地面に埋めて身動きが取れない状態にする
- 罪人に布袋をかぶせる
- 執行人の合図とともに大勢の一般人による投石で罪人を苦しませながら死に至らしめる
という手順を踏み処刑が行われるとのこと。
また、処刑に関して「一度の投石で罪人を殺してはいけない」という決まりがあるらしく、石の大きさは政府によって決められた石のみが処刑場に運ばれるそうです。
そして最後に、執行人が大勢の一般人からの投石によって亡くなった人の顔の布袋を取るのですが、そこには、それが元々人の顔であったのかさえ疑う程の無残な姿があったとのこと。
また、この残酷極まりない処刑に対して非人道的だという非難があり、石打刑が行われていることに対して世界中で物議を醸しているようです。
猛獣刑

猛獣刑は、紀元前の古代ローマなどで行われていた処刑方法です。
ライオンやクマなどの獣に人を惨殺させる処刑方法で、猛獣刑の始まりは、野生動物が住む自然界に罪人を放置したのが始まりであるとされています。
そして、猛獣刑の舞台として有名なのはイタリアのコロッセオ。
古代ローマにおけるコロッセオでは、猛獣と猛獣、人と人同士の決闘を観戦できたのですが、当時のコロッセオで行われていた演目の中には猛獣刑も含まれていたようです。
かつて、キリスト教は古代ローマの王の権力を揺るがすという理由でローマ政府から非常に嫌われており、キリスト教信者のほとんどは「罪人」として扱われ猛獣刑に処されました。
そして、コロッセオにおける猛獣刑のやり方としてメジャーだったのは「戦闘」と称して罪人と猛獣を戦わせるというもの。
会場の中央に立つ罪人の前に、1匹もしくはそれ以上の猛獣を歩かせて「罪人と猛獣が命を懸けた戦闘を行う」という形式を取っていたため、名目上は戦闘です。
ただし、訓練されていない人が猛獣にかなうはずもなく、まさしく処刑も同然でした。
そんな様子は、当時のローマの人々にとって数少ない娯楽の1つだったようで、大いに盛り上がったそうです。
ちなみに、これの見物のためにコロッセオに来た客には、コロッセオの運営から食事が無料で用意されたらしく、観客たちは、食事をしながらこうした様子を眺めていたとのこと。
さらに、「残虐な処刑を見たければライオン」「じっくりと罪人が死んでいく様子を見物したい時にはクマ」といったように、観客の気分によって猛獣の種類も変更されたようです。
なお、現代のコロッセオはイタリア旅行の観光名所であると同時に心霊スポットでもあるようで、夜になると、コロッセオで亡くなった人の霊が出ると噂されています。
最後に
内容は以上です。ここまで読んでいただきありがとうございました。
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